クシノテラス

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date: 2017.8.10

スギノ イチヲ

スギノ イチヲ

1965年生まれ、広島県福山市在住。

髪を伸ばしている理由を知り合いに指摘された際、冗談で「キダ・タローみたいな髪型にしようと思っとるんじゃ」と返答したところ、意外にも賞賛を受ける。

2017年1月22日に自宅でくつろいでいた際に、知人の返答を思い出し、ガムテープなどを利用してキダ・タローに変装したところ、酷似していることに気づき、その日からInstagramへの投稿を続けている。

つげ義春や諸星大二郎など好きな作家の顔まねを「#おじコス」とハッシュタグをつけて投稿し続けることで、自分が好きな作家を他の人にも知ってほしいという思いを抱いている。

column

written: 櫛野 展正

 2017年4月の時点で、全世界の月間アクティブ利用者数が7億人を突破したInstagram。プロではない人たちもスマートフォンで自分の表現を容易に発表できる手軽さから、ますます人気を集めている。膨大な量の写真がタイムラインの海をスクロールしていく中で、「おじコス」とハッシュタグの付いた投稿に目が止まった。よく見ると、タモリや会田誠など自らの顔を著名人に扮して投稿した写真で、つげ義春や浦沢直樹など随分マニアックな人たちの顔真似もある。
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<左:森田一義と右:コージー富田>
 それからしばらくして、クシノテラスに「フォローしてくれてありがとうございます」とやって来てくれたのが、作者のスギノイチヲさんだった。商業デザイン会社で常務取締役を務めるスギノさんは、現在51歳。職場がクシノテラスの近所だったこともあって会話が弾み、後日福山市内の高台が一望できるご自宅でお話を伺うことができた。 
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 長女が大学4年生で就職を控えてるし、娘は中学3年だから高校受験でしょ、「そんな時に親がこんなことやってる場合じゃないな」というのが家族の意見でして。だから、イチヲは本名じゃなくてペンネームです。祖父の名前が一一(かずいち)、祖母がヲイチで、2つ違いの兄が慶一、みんな「イチ」が入ってるんで、この名前にしました。

 
 スギノさんは、1965年に広島県福山市で2人兄弟の弟として生まれた。2歳の時、一家は徳島へ引っ越したが、「子どもを2人も育てられないから」という経済的な都合で、スギノさんだけが福山の祖父母の元で育てられることになった。
 

 兄だけが徳島で両親と育ってるでしょ。徳島へは盆と正月に行くくらいだったから、ずっと兄ともギクシャクした関係で。だから、両親のことは一度も「お父さん、お母さん」と呼んだことがないんです。親に甘えたこともないから、寂しさやコンプレックスが物凄くありました。

 
 それが2年前のお盆に兄から電話がかかって来て、相変わらずそっけない雰囲気だったが、たわいもない話をしているうちに、お互い意気投合し、そこから話が止まらなくなって、今では毎日電話で話をしているんだとか。
 

 僕は祖父母に育てられたんですけど、戦争経験者だから僕が笑うと祖父母は物凄く怒るんです。笑うことに関して、ちょっと不謹慎に思っていたようで。でも僕らの世代は、ドリフターズの番組や「オレたちひょうきん族」、「THE MANZAI」とかが全盛期でしょ。お笑いが好きだったから、カセットでこっそり録音して、あとから聞いてましたよ。

 
 スギノさんの自室は小さいながらアンティークな家具や書棚が並び、とても良い雰囲気だ。整理された本棚に目をやると、水木しげる、つげ義春、諸星大二郎や西岸良平など趣味の良い漫画家の作品が並んでいる。スギノさんがこうした漫画を読みだしたのは、高校1年生の夏休みからだ。
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 徳島に行ったとき、兄貴が部活でいなかったんで市内の古本屋に行ったんです。そこで手に取ったんが、つげ義春の『ゲンセンカン主人』でした。表紙はエロいんですけど、中身はエロさを感じんかって「こんな漫画があったんか」って思うほど、面白かったんです。それで翌日もそこで買ったんが、つげ義春漫画集『必殺するめ固め』でした。表紙をめくったら、つげさんのサインが書いてあって、びっくりしましたよ。そこから、つげ義春にはまって『ガロ』を知って色々集めだしたんです。

 
 高校は地元高校の緑地土木課に通った。そこで、大阪芸大を卒業したばかりの新任教師が設立した美術部に誘われ入部。1年半ほどでその先生は寿退職してしまったものの、美術部に入ったおかげでデザインの世界に興味を持つようになった。進路選択の際には、迷わず多摩芸術学園のビジュアルデザイン学科を選択した。
 

 卒業後は普通なら東京へ残るんですけど、東京の生活が嫌で、すぐ地元へ帰ってきたんです。もうねぇ、アパートの壁を隔てて、誰か隣の人が住んでるっていう感覚が、僕には嫌で嫌で。田舎者だったんでしょうね。多摩川を渡ることはごく稀で、東京へも全然遊びに行きませんでしたね。だから、こっちに帰って来てからもほとんど遠出したことなくて、海外旅行はもちろんのこと、東京には1回も行ったことないんです。ここ最近の遠出といえば、娘の引越しのために一度京都に行ったくらいです。携帯電話も周囲から「どうしても持ってくれ」と頼まれて、ガラケーを飛び越えて初めてiPhone3Gを持ったんです。今使ってる携帯もiPhone4なので、昨日も携帯ショップに持って行ったら珍しがられましたよ。仕事の方は、商業デザインということで最新の仕事をしてるんですけど、プライベートではそういうことには無頓着でアナログ人間なんです。

 
 地元で今の会社に就職して約30年。これまで絵も描こうと画材を買ったり写真を撮ろうとカメラを買ったりしたが、「飛び抜けて上手いわけじゃないし、それをして何の意味があるんじゃろ」といつも長続きしなかった。そんなスギノさんがInstagramでの発表を始めるきっかけとなったのは、「この歳だし最後に長髪にしてみよう」と昨年5月から伸ばしていた髪を知り合いから指摘されたことだった。
 

 知り合いからを「何で伸ばしとん」と聞かれたときに、口からでまかせで「キダ・タローみたいな髪型にしようと思っとるんじゃ」と冗談で答えたんです。そしたら「それめちゃくちゃカッコいいじゃん」と言われて、それがすごく意外だった。それで今年の1月22日の日曜日に家でくつろいでた時にその話を思い出して、画材道具を出してきて顔にペイントしたり髪型をセットして変装したりしてたら、だんだんキダ・タローに似てきたんです。面白くなったから、その日からInstagramへの投稿を始めました。

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<キダ・タロー>
 
 1月22日から始めて、3月22日に一旦休止するまで毎日2ヶ月間休むことなく、78人の顔真似を続けた。1日4人ほど撮影した日もあるようだ。初日にキダ・タロー、翌日には竹村健一をInstagramにアップしたものの、フォロワーは15人ほどしかいなかったため、全く反応は無し。5日経って、やっと1人が「いいね」してくれた時は、とても嬉しかったそうだ。それが励みとなり、その人を笑わせるために、毎晩必死になって投稿を続けた。結局、毎回反応を示してくれたのは、その人と実兄の2人だけ。スギノさんのお兄さんは、このためにInstagramを始めたというから、何て素敵な兄弟なんだろう。
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<浦沢直樹>
 


 まず自分でいいなと思うのを3つくらいLineで兄貴に送るんです。第三者の目から見て意見を聞いて、Instagramにあげるんです。そんなやりとりをしてるから、余計兄貴とは親密になりましたよ。今も毎日たわいもない話をしてますよ。

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<赤塚不二夫>
 

 最初は「とにかく似てればいい」という気持ちで始めたものの、続けていくうちに、「何か目的がないと続かんな」と考えるようになった。しばらく本棚を眺めていると、本棚にある好きな著名人を撮影していけば良いのではないかと考えるようになった。以前からスギノさんには、好きな作家の本を他人に勧めることが好きで、Facebookに投稿したり、本をプレゼントしたりすることがあった。ところが、Facebookでは余り反応がないし、プレゼントした本は自分で後から買い足さなければならない。「Instagramに好きな著名人の顔真似をアップし続けることで、もしかしたら自分の好きな人物にみんなが興味を持ってくれるかもしれない」、スギノさんにはそういう思いもあったようだ。
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<司馬遼太郎>

 


 仕事から帰ってきて、夕飯を食べたあと、すぐ自分の部屋にこもって撮影をしてました。家族には1ヶ月間黙ってたんで、女房の母親なんかが急に洗濯物持ってきたりするからソファーをストッパーにしてドアが開かんようにしてね。
 ここで写真をみながら、ガムテープを貼ったり絵の具を塗ったりしながら撮影してましたよ。そしたら、「部屋にカツラがあるし、夜なんかしょうるみたいなよ」と家族3人である時に話をしてたみたいで、うちのお母さんから「ちょっと洗面所へおいで」と呼ばれて、「これ使ったらよく落ちるよ」とコールドクリームを渡されたんです。こりゃ女装と絶対間違えとると思って、家族に打ち明けたら「なんで女装してないん? 好きにすれば」ってつまらなそうな顔をしてました。うちの家族は、僕のやることに全く興味がないんですよね。
 

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<藤子・F・不二雄> 
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<藤子不二雄A>

 

 モデルとなる人物はその日の気分で選んでいる。ガムテープやマスキングテープに安価なメガネなどの身近な小物を使用し、ほんの数分で変装し撮影。撮りためていくうちに、周囲から「素人が撮影するにしてはクオリティが良いのでは」という評価を受けるようになった。そして、「一生に一度は展覧会をしてみたい」という思いがあったことから、今年の5月から尾道で初個展を開催。これまでお世話になった人や会いたかった人に案内状を出したところ、高校時代にデザインの道へ進むきっかけとなった美術教師をはじめ、多くの人が足を運んでくれた。
 
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<片岡鶴太郎>
 
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<筒井康隆>
 


 若いお客さんが多かったんで、モデルにした人物の名前すら知らない人も多かったですね。中には、藤子不二雄が二人いたってことを初めて知った人がいたし、つげ義春に物凄く興味を持った人がいました。今回の展示会を担当してくれた若い女の子に至っては、最後の打ち合わせの時に「トキワ荘って何ですか?」と聞かれたんです。崩れ落ちそうになったと同時に、「あぁ、この人は僕を通じてトキワ荘を知ってくれたんだな」と嬉しくなった。やっぱり自分の名前が売れるよりか、自分の好きな人を若い人に継いでいってもらいたいと思いますね。今後考えているのは、「26人の藤子不二雄」という企画です。藤子不二雄は、本当はAからZまでいて、残りの漫画家は悲惨な死に方をしたという空想で写真を撮ってみようかなと。まだ、撮りきれていない写真があるから来年になると思うんですけど。

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<五木寛之>

 
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<京極夏彦>
 

 一見、世の中のなんの役にも立たないようなことを続けているスギノさんの顔真似だが、「やって良かったとは物凄く思うし、相当救われました。やった自分に感謝したい」と語る。南伸坊や清水ミチコなどの著名人がこうした分野の先駆者として知られているが、スギノさんはそうした先人たちに敬意を払いつつも、「誰もやっていないジャンルの顔真似を続けていきたい」と教えてくれた。

 それは即ち自分にしかできないことを追求するということだ。人は誰しも、自分の存在意義を確かめるため、仕事や趣味の世界で自分だけの道を探し続けている。ほとんどの人は、それを見つけることができないまま、気がつくと誰かが敷いたレールの上を歩いていることが多い。でも、スギノさんの姿を見ていると、何も大げさに考える必要はないことに気づく。専門的な技術や道具が必要なわけではない。平凡な日常を非凡に変えるヒントは、身近なところに転がっていることをスギノさんはケータイのカメラ越しに教えてくれる。
 
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<櫛野展正>