クシノテラス

profile

date: 2018.10.03

どろぬま どくお

泥沼 毒生

1974年生まれ、奈良県在住。

幼少期に父親から虐待を受けたことがきっかけで加虐に興味を持ちSMの世界へのめり込む。

36歳のときに統合失調症を発症。

幻覚を医師に伝えるためにデジタルアートで絵を描く。

2017年7月より本格的にデジタルアートで、みずからが登場する加虐妄想の世界を描くようになる。

column

written: 櫛野 展正

 激しい水しぶきをあげるモーターボートに乗った男性が、モンキーターンのときにSM調教をする様子を描いたデジタルアート。その背後には、体に大きく「原発反対」と落書きされた女性たちが水車責めを受け、苦悩の表情を浮かべている。別の作品に目をやっても、おそらく作者であろうと思しき色黒で坊主頭の男性が加虐を行なっている場面が描かれている。作者の激しい性的な欲望が前面に押し出されたその構図とポップでフラットなデジタルアートとの落差に、僕の脳内はまるで平衡感覚を失ったようにクラクラした。こんな風に絵を見て酔ってしまったような経験は初めてのことだ。

 作者の泥沼毒生(どろぬま・どくお)さんは、1974年に奈良県で2人きょうだいの長男として生まれた。これまで本格的に絵を学んだ経験はなく、むしろ絵を描くことを避けて生きてきたようだ。 

 「泥沼毒生」っていうこのペンネームは、泥沼な人生を送っているのと、毒親から生まれたので。自分でもいい名前をつけたなと思ってます。幼少期に、父親から僕と母親が虐待されていたんです。団地の2階から地面に放り投げられたこともあります。ただの呑んだくれの父親だったんですが、鉛筆で写実的な絵を描くアマチュア画家で、絵を見ると余計に父親のことを思い出してしまうから、絵はどうしても好きになれませんでした。


 さらに小学校2年生のときには、学校の先生に自分が描いた絵を「気合が入っていない、やりなおし」と訳も分からずビリビリに破られた。そのことが決定打となり、絵を描くことが嫌いになってしまったようだ。写生の時間になると「嫌です、描きたくありません」と先生に反抗した。当時、少し知的な遅れがあると思われていた泥沼さんは嫌な授業の時間になると、特別支援学級に逃げ込んでいたそうだ。「人よりも劣っているなということは分かっていました。でも、自分にとってはそんなこと、どうでも良かったんです」と語る。

 中学を卒業後は、進学はせずに遊園地でのアルバイト生活に明け暮れ、思春期になると、周囲と同じように「性」に興味を持つようになった。ただ、普通のエロ雑誌では満たされない自分がいた。あるとき、SM雑誌を手にしたとき、「自分が受けた虐待をほかの人にもやってみたい。加虐することで喜ばれる世界があるんや」とSMの世界に憧れを抱くようになった。20歳を過ぎてから、求人広告の募集要項に書かれていた「学歴不問」という言葉と、長年憧れていたエロの世界に惹かれ、アダルトビデオ制作会社に入社。泥沼さんは、アダルトビデオの企画を提案したりパッケージに使う写真を選別したりする仕事をこなした。東京で仕事をして大阪へ戻る、そんな生活の繰り返しだった。 

 あるとき、制作現場で知り合った緊縛師の人に、みずからの半生を相談した際、「被虐を求める奴隷志願の女性は精神的に病んでいる人が多いから、あなたみたいに虐待を受けて苦労した人こそ、彼女たちのこころの支えになれるわよ」とSMの世界への誘いを受けた。そして22歳のとき、泥沼さんはS男としてデビューを果たす。 

 緊縛師の人から紹介してもらったり「ダイヤルQ2」で出会ったりして様々な方とプレイを楽しんできました。ただ僕は加虐性欲が強すぎるみたいで、女性器に氷を入れて、ハンドミキサーでかき混ぜて血だらけにさせちゃったことやアナルの中にカラシを入れすぎて腸の病気にさせちゃって、その女性が半年くらい人工肛門になったこともあります。


 ちょうど時代は1990年代末期。泥沼さんのアダルトビデオ制作会社はインターネット・バブルの潮流に乗るために、ウェブ制作会社を立ち上げることになった。パソコンが得意だった泥沼さんは、その会社の立ち上げに携わり、フォトショップやイラストレーターなどの操作方法を学び、何社かのウェブサイトを制作。以後も、「サーバーを自社で持ちたいから、お前はエンジニアになれ」と会社から指示され、独学でLinuxを学び、ネットワーク・エンジニアのための資格であるCCNAなども取得した。資格を得たことで25歳くらいから、時給の良い派遣会社に転職し、ネットワーク・エンジニアとして腕を磨いていったようだ。そのころ私生活では、1歳下の「奴隷妻」と結婚し、充実したSM生活を謳歌していた。転機が訪れたのは、36歳のときのこと。 

 運転中に、男性の声で「3・2・6・2・5・9・1・2・2」と数字の羅列が聞こえてきたんです。仕事で商談中のときには、片耳からその数字が、反対の耳からは女性の声で、「369時2569分をお知らせします」というデタラメな時報の音が聞こえてきたんです。相手の声も聞きとれなくなるほどだったから、すぐに耳鼻科へ行ったんですが、検査しても異常はなくて。病院の先生から勧められたのが、精神科でした。症状はだんだんひどくなって、見えないものが見えるようになったり地面が海のように波打って見えたりと最悪の状況が続きました。それで、幻聴だったら「こんな声が聞こえるんです」と先生に話ができるんですが、幻覚の場合は「壁の中に、こんな顔が見える」とか言葉じゃ説明できないでしょ。事の重大さを分かって欲しかったから、ペンタブを買ってパソコンで絵を描いて先生に見せたんです。半年ほど経ったときに、統合失調症の診断がつきましたね。 


 やがて働くことができなくなるほど症状が悪化し、大阪に住んでいた泥沼さんは、「ひとりで奈良に帰るわ」と帰郷。「ひとりで居たかったんでしょうね」と当時を振り返る。半年後には、奴隷妻とも離婚した。

 奈良に戻ってから、症状がひどくなって入院したこともあります。開放病棟で個室だったんですが、空手名人のお兄ちゃんが必死に「敵に囲まれたときに、ビビらない方法を教えてくれ」とやってきたり、タバコ欲しさに売春まがいのことをしたりする女性もいました。社会に出てから、ものすごい一般常識を叩き込まれてきたでしょ。でも、「もともと俺は一般常識のない人間やったやん」とここに来て思い出したんです。ここは一般常識の通じない世界で、SMの世界とも違う。「この人たちみんなすげぇ。この世界好きやわぁ」と素直に思ったんです。


 泥沼さんが感じたように、いつのまにか僕らは社会のルールや常識に縛られ、型にはまった生き方を求められるようになっている。誰もが一流大学や企業に入ることを望み、マイホームを建てること夢見て必死になって働く。そして私生活では流行りのレジャーを追いかけることが美徳とされているような風潮さえある。でも、そうした画一的な生き方では生きられない人たちがいる。泥沼さんにとって逃げ場となっていたのが、SMの世界であり精神病院だったと言うわけだ。40歳からは、福祉サービスを利用して、いくつかの作業所に通ったこともあるが、全て長続きしなかった。

 施設の女性職員さんや利用者さんを見ると「この女を縛りたいな」と思ってしまうんです(笑)。36歳で社会との接点が無くなってから、ますます性欲が強くなっちゃったんですね。あと、人が多いところに行くと息苦しくなってパニック障害のようになってしまうんですよ。電車やバスも乗れないから、月に一度の通院もタクシーで通ってるくらいですわ。買い物もごくたまに出かける程度で、Amazonで注文したインスタントカレーを毎日食ってますね。 

 転機となったのは、2017年7月に36歳のころ描いたデジタルアートを偶然見つけたことだ。眺めているうちに「あぁ、すごい絵を描いとったんやな」と自分の表現をそのとき初めて見つめ直した。それから、「もともとSMが好きだし、精神病院で入院したときに目にした一般常識の通じない狂気の世界、こういう世界なら自分は表現できるかも」と誰に見せるわけでもなく、泥沼さんは再びパソコンで絵を描き始めた。描いた作品を今年2月には1ヶ月だけ、ブログで公開したところ、ランキングで1位になった。それが嬉しくて、本格的に絵を描いていくことを決意。ところが、抽象的な絵は描くことができるが写実的な絵など描いたことがない。試行錯誤の結果、使い慣れていたフォトショップで写真などをトレースして、上からペンタブで線をなぞる独自の方法で絵を描くようになった。

 アダルトビデオ会社に勤めていた21歳のとき、父親に包丁で刺されて殺されかけたことがあるんです。それが原因で家を飛び出して、結婚するまで一人暮らしを続けてきました。父親からの虐待がトラウマとなって、父親に殺される夢を見ることが多かったんです。父親は僕の名前を叫びながら、殴ったり蹴ったりしてたんで、自分の名前を見るのも嫌やったんです。でも郵便物なんかが届くと当たり前ですけど自分の名前が書いてあるでしょ。それであるとき、性同一性障害の知人が家庭裁判所で手続きして改名したことを教えてもらって、2017年4月に僕も本名を「桜鶴」って名前に変えたんです。この名前にしてからですね、自己表現をしてみたいと、はっきり思えるようになったのは。


 6月15日には作品を発表するためのブログを立ち上げた。現在は「1日1枚描いていたときは、ほとんど寝る時間もなかったから、いまは2日間かけて1枚の絵を描くようにしています」と話す。これまで描いてきた絵は、およそ100点にのぼる。

 毎月通院には通っていますが、先生も「病気が治る」とは言ってくれないし、問診は5分で終わっちゃうし。だから、もう自分に残されているものって、絵を描くことしかないんですよ。SMが好きだし、性的な欲求を絵で表現していくのが余生だと思っているんです。もともと飽き性なんで、いつもなら止めてるんですけど、これしか生きがいがなくって、描くことだけはずっと続いているんです。いまは寝たいときに寝るような生活で、いつも次作の構想を考えていますね。ブログで感想をもらうと嬉しいんですけど、Mの女性たちは、絵に添えている文章ばかり褒めるんですよ(笑)。もっと絵を見て欲しいですね。


 芸術分野においては、いくらでも複製が可能と言う点においてデジタルアートの評価は未だ低いのかも知れない。とくにセロハンテープや広告の裏紙など身近で脆弱な素材を使って表現されることが多いアウトサイダー・アートの分野に身をおく僕にとっては、どうしても作者の手垢を感じられる作品に惹かれてしまうのは事実だし、泥沼さんの手描きの作品も見てみたいと思ってしまう。しかし、30数年間絵を描いていなかった泥沼さんにとっては、頭に浮かんだ願望や妄想をそのまま表現することこそ、いまは何より重要なのだ。そのためには、色にムラができたり線をはみ出したりする恐れのないデジタルアートが最も適してしているのだろう。まさに泥沼さんにとって、デジタルアートは心のよりどころと言える。

まだまだ、その表現は始まったばかりだ。彼が、これからどんな残酷で不思議な世界観を見せてくれるのか、僕は楽しみで仕方がない。また、こっそり覗きに行こう。